旅もベテランになるほど、過去にやらかした恥ずかしい失敗もそれなりに多いはず。もちろん私にもありますわ。この際、公開しちゃいます。覚えているかぎりのぶざまなあれこれを。
書いていて、これは相当恥ずかしい…
まずはその①
数年前に行ったスリランカ自転車旅でのこと。ツーリング3日目、キャンディから次の町に向かう途中、その日は朝から少しお腹の調子が良くないのは分かっていた。
山道をヒィコラヒィコラ自転車をこぎながらも、少しずつ「その瞬間」がやって来そうな予兆を感じていた。精神を統一し下腹、特に肛門周辺の筋肉に力を入れ、なんとか「その瞬間」を先延ばしにしようと試みるも、非情にも早めに限界が訪れた。
仕方がない。この辺りで野に放つしかなさそうだ。カーブの途中に良さげな茂みがあったので、自転車を停めトイレットペーパーを片手に低い灌木に分け入った。
笑えるのはここからだ。
草木の陰にしゃがみ込み、我慢していた物を放出していると、外国人サイクリストが山道を下って来るのが見えた。スリランカに来て、それまで一度もすれ違ったことがない同じ自転車の旅人。「はあ、会いたかったぜ、残念だなあ」などとぼんやりしていたら、その外国人サイクリスト、何を思ったか路肩に放り出している私の自転車を発見して戻って来るではないか!
「HELLO!HELLO!」交通事故か何かだと思ったのか、その声は明らかに私を探している。
「うぅ、これはまずい」まだおけつ丸出し状態だぞ。ヤツは近づいて来る!しかし何も言わないままだと、さらに探しに来てしまいホントに大事故だ。私は、とっさに
「I am busy! Please do not come!」と声を張り上げた。彼は賢かった。事情を察してくれた。そして静かに去って行った。
間が悪いのは、いったいどちらの方だったのだろう。
さらに悲惨だったエピソード②
これから紹介する文章には、凄惨な表現が含まれます。読者の皆さまが脳内でその情景を想像して画像に変換し、その結果気分が悪くなったとしても当方では責任を負いかねます。文字のままでも閲覧注意事案です。自己責任で読み進めて下さい。特にお食事中の方は厳にお気をつけください。
ちゃんと注意を促しましたからね。
1986年11月、中国からクンジェラブ峠を越えパキスタンに入った。パキスタンでの最初の滞在地は、秘境フンザ。空気は澄み、見渡す景色は美しく、そして何よりもカレーが食べられるのが嬉しかった。中国では旅のあいだ美味しいものは殆ど無かったからだ。
フンザに来て確か2日目か3日目だったと思う。その夜もお気に入りの食堂で、カレーを堪能した。宿まではけっこう遠く、道は細く街灯も無い。それでも満天の星空を眺めながら歩くのは気分が良かった。
「うっ☆!」その便意は何の前触れも無く、しかも経験したことのない最大の衝撃波で私の下腹部に襲いかかった。宿のトイレには絶対に辿り着けないと、瞬時に思った。冷や汗が滲む。足が動かず歩けない。脳は精一杯肛門の筋肉に指令を送るが、その便意は容赦が無かった。
負けた。ブシャシャシャシャーと大量の軟便が肛門から吐き出され、パンツの隙間からズボンの内側を伝って足元まであふれ落ちた。なすすべが無かった。強烈に臭かった。パンツの内側は、尻に張り付く下痢便で生暖かく、ヌルヌルで気持ち悪い。
なんて情けない。下半身はズボンごとクソまみれだ。
辺りに人がいなかったのが、せめてもの救いだった。その場で脱いだズボンは、目立たぬ場所に投げ捨てた。パンツまでは脱ぐわけにもいかず、悪臭をまとわせたまま、誰ともすれ違わないようコソコソと早歩きで宿へと向かった。ソッコーでシャワーを使い下半身を洗い流した。パンツも捨てた。靴は翌朝洗った。
悪夢のような出来事であった。
続いて③、汚い話はもう無いよ。
2009年フランス自転車ツーリングの時の話し。
夜遅くリヨン・サンテグジュペリ空港に到着し、その日は空港近くのホテルで一泊。翌朝最初の目的地に向け自転車を走らせた。時々地図で方角を確認しつつ快調に距離をかせぐ。いつしか道も広くなり、車もホーンを鳴らし応援してくれている。これが大きな勘違いだと気付くのはまだ先だった。
車が追い越し際、スピードを落とし窓を下ろして何か言って去って行った。そのうち警察車両がやって来た。私の前でパトカーを走らせ、ついて来いと言っているようだ。次の出口で下りると、2人のフランス警察官がパトカーから出てくる。何だかよく分からないので、パスポートを見せ英語で応じた。そしてやっと事情を飲み込めた。私は自転車で高速道路を走っていたのだった。
あれだ、最近テレビの情報番組なんかで時々やっている、高速道路を自転車で走るところを動画に撮られて、炎上しているあれと同じだった。
「こいつバカで~」なんてテレビに言っていたのに、昔自分もやっていたのだった。
フランス警察は、その後すぐ開放してくれた。もちろん罰金などはなかった。
その④
1986年、初めての海外旅行。ガイドブックのコピーに憧れ、丸腰のままひとり飛び込んだ魔都バンコク。疑う事を知らなかった若者は、簡単に魔の手に引っかかってしまった。
観光客に有名なお寺をぶらぶらしていたら、明るいお兄さんが船に乗せてあげるよと誘って来た。近くにはチャオプラヤ川が流れていた。断る言葉も見つからず、ノコノコとついて行った。
エンジン付きの細長い小舟があって、座るとすぐに走り出し、数分後川幅の広い部分まで来ると舟は止まった。私を誘った調子のいいソイツは一転、冷たく言い放った。「これは遊覧船だ、金を払え」確かそんな風だった。何バーツだったかはもう覚えていないが、払えない額ではなかった。私は、観光客をカモにする単純な手口に引っかかったのだ。岸まで戻るまでのチャオプラヤ川の風は、苦い味がした。
知らない人に誘われても、ついて行ってはいけません。
⑤は、またも騙された間抜けな私。
中国、パキスタンそしてインド、一癖も二癖もある地帯を旅し少し自信をつけてきた私。しかし世の中(特にインドは)甘くない。インドのとある街でのこと、男が話しかけてきた。言葉巧みな内容で、結果としてUS100ドルを騙し取られた。鉄道の切符関連だったと思うが、詳しくはもう覚えていない。
世の中にうまい話など有りません。それは詐欺です。
最後の⑥は私の中では、黒歴史の中の黒だ。
公開するのは相当恥ずかしい。調子にのって発した言葉は、後から気づくと完全に赤面ものだ。
昔、長期旅行を終え日本に帰って間もない頃、喫茶店で英語で注文したことがあった。ちょっと海外旅行に行った程度で国際人を気取っていた青二才の自分が情けない。
上記旅行中、インドでタクシーに乗った時のこと。当時インドの車はほぼヒンドスタン・アンバサダーというインドの国産車であった。インド旅行のイライラを、日本車と比べ見劣りのするアンバサダーの悪口に換えて、そのタクシーのドライバーにぶつけた事があった。かなりダサい。
フランス自転車旅の帰り、自分が乗るジュネーブからフランクフルト行きの便が、まあまあ遅れた。フランクフルトでは、乗り継ぎのANA便が待っていてくれた。私を含め数人は急いで搭乗したが、機内で浴びる視線は冷たかった。
にもかかわらず、そんな空気感を無視して私はCAさんにアップグレードの可能性について尋ねたのだ。
実はこの行きの便、成田発フランクフルト行きの便の時、SFCの恩恵で無償アップグレードされビジネスクラスでヨーロッパまで飛んで来ていた。帰りも甘い汁を吸おうとした、卑しい考えが出てしまったというわけだ。
口から出た言葉は、戻って来ません。
以上、ぶざまな己をさらけ出した、旅にまつわる恥ずかしい記憶のあれこれでした。
コメント