この初めての海外旅行の様子を写した写真が、どこかにあったはずなのだが、どんなに探しても見つからない。たいしていい写真でもないのだが、何か書く時の参考にはなったろうに。
その代わり、しょぼいメモと読むに耐えない痛い日記的な文が数ページ残っていた。
改めて見てみると、24日間のうち17日間がタイ滞在で、マレーシアとシンガポールは列車で行ってみただけのようであった。なんか残念な旅程だが、初心者だからしょうがないか。
さて、意気揚々と異国の地を歩き始めた私であったが数日後、脇の甘い海外旅行初心者を狙う魔都バンコクのセコい小悪党に、まんまとしてやられたのであった。
観光客に有名なお寺をぶらぶらしていたら、明るいお兄さんが船に乗せてあげるよと誘って来た。近くにはチャオプラヤ川が流れていた。断る言葉も見つからず、ノコノコとついて行った。
エンジン付きの細長い小舟があって、座るとすぐに走り出し、数分後川幅の広い部分まで来ると舟は止まった。私を誘った調子のいいソイツは一転、冷たく言い放った。「これは遊覧船だ、金を払え」確かそんな風だった。何バーツだったかはもう覚えていないが、払えない額ではなかった。私は、観光客をカモにする単純な手口に引っかかったのだ。岸まで戻るまでのチャオプラヤ川の風は、苦い味がした。
翌週私は、プーケット島カタノイビーチにいた。リゾート化していく以前の、素朴で静かな浜辺であった。
ゆるく弓なりに伸びる白い砂浜には、点々と白いパラソルが差してあって、その下には白いチェアがふたつ並べられていた。
ここは一人で来る所ではないな。そもそも南国のビーチなんて私には不釣り合いだ。
特にすることも無く、安宿のテラスにひとり座り海を眺め、大学の頃気になっていたあの子を思い浮かべ、『恋するカレン』(大瀧詠一)なんかを切なく口ずさんでいたに違いない。これなんかは今の言葉だと「キモイ」と言うに違いない。
その後クアラルンプールに1泊、シンガポールに2泊だけしてバンコクに列車でとんぼ返り。国際列車に乗って国境を越えるという、そんな経験をしたかっただけのようだ。残っていたその時の駄文には、そんな風な事が書いてあった。
次のチェンマイでは、滞在中にあのソンクラーン祭りの開催と偶然重なり、楽しい雰囲気を味わうことができ、とてもラッキーであった。さらには、オカマさんにも話しかけられる貴重な経験もできた。
あと数日で帰国となるある日、バンコクで次の旅を予感させるちょっとした出会いがあった。
どこかでインド帰りの日本人バックパッカー数人とツクツクに乗り合わせた。上級旅人オーラを纏わせた先輩バックパッカーはこう言った。
インドから見れば、バンコクなんて東京と一緒ですよ
他にもインド旅行の武勇伝を熱く語っていたと思うが、この言葉だけが今でも残っている。私には初の海外旅行で、無我夢中で歩いていたタイであったのだが、それすら簡単に凌駕するという「インド」。その時の私にはその凄さは想像すら出来なかった。
「すげーなインド、すげーなこの人たち」素直にそう感じただけなのだと思う。
もちろんインドは次の旅行に組み込まれた。
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