1986年中国・パキスタン・インド・ネパール– category –
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅(完):インドからネパールへ、そして旅の終わり
カジュラホは寺院のエロレリーフで有名で、確かにこりゃエロ遺産だわと感心する。具体的にどんな感じか知りたい人は、検索してね。画像はたくさんネット上にあるよ。 ガンジス川 ダシャシュワメード・ガート バラナシから陸路ネパールを目指す。スノウリ国... -
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅⑭:もはや致命的!観光意欲低下症にかかる
インドに入国してから更に写真を撮らなくなってしまい、また日記的なメモの字数も少ない。せっかくのインド旅なのに、出くわすアレコレなどを残した物がほとんど無い。 ニューデリーでは、パハールガンジ地区のハニーゲストハウスに泊まったと記録が残って... -
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅⑬:雪のロワリ峠で敗退
11月13日、パキスタン航空国内線ペシャワール行きは天候不順でフライトはキャンセル。 11月14日、この日も飛行機は飛ばなかった。川原で牛の屠殺現場を目撃して気が滅入る。 翌日15日もペシャワール行きはキャンセルとなった。 当分チトラルから出られない... -
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅⑫:カラッシュ族の村へ
翌日イギリス人と2人で、ブンブレットからさらに山1つ尾根を越えビリールという集落を訪ねてみようということになった。このビリールに行く方法は歩きしかない。 特に登山道があるわけではない。地図やコンパスも持っていない。村の人に聞きながら歩いて... -
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅⑪:北西辺境州チトラル
パキスタンルピー。1USドルが17ルピーで両替できた。当時のドル/円は155~160円なので、1パキスタンルピーはおよそ9円強。 1人の西洋人と知り合った。たしかペシャワールの同宿の旅行者で、ビールを飲みに行こうと誘われた。イスラム教の国でビールなんか... -
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅⑩:桃源郷フンザ
右奥にある白い山はラカポシ7788m、左奥はディラン7257m。 夜遅く着いたため、フンザの景色は翌朝だった。絶景であった。 フンザには5泊した。とにかく居心地の良い村であった。 食傷気味だった中国の食べ物に比べ、カレーは新鮮な味覚で美味しく食べられ... -
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅⑨:クンジェラブ峠を越える
中国・パキスタン国境クンジェラブ峠でランクル仲間と記念撮影をした。 この写真のとおり私たちは、前回の記事で書いた、行き止まりになった崖崩れの現場を越えて来た。 崖崩れの現場まで話しを巻き戻す…。 カシュガルに戻るというドライバーの言葉に踏ん... -
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅⑧:カシュガルから更にその先へ
大阪→上海の客船鑑真号の切符は、西新宿の秀インターナショナル(今のHIS)で手配したのだが、当時秀のオフィスの客用スペースの壁には、バックパッカー向けに各国の旅行情報が掲示されていたと思う。先人が残した数少ない貴重な体験の手書きの物もあった... -
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅⑦:カシュガルへの過酷なバス旅
今(2023年)試しにGoogleマップで、トルファンからカシュガルまでの経路を検索してみたら、所要時間14時間強で到着と出た。ありえん。 1986年当時バスでトルファンからカシュガルまで実際に必要だった時間は、半日+2泊3日であったので、相当便利になっ... -
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅⑥:オアシス都市トルファン
時計を見ると20時半、もうじきウイグル民族音楽のショーが始まる。 楽器の奏者たちは弦の響きを合わせている。一方、華やかな衣装のウイグル女子たちは、舞台の裏でキャッキャ、キャッキャしている。 トルファン賓館中庭、葡萄棚の下の小さなステージで、... -
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅⑤:中国トイレ事情、ひり出す勇気はあるか
ウルムチの街を散歩してみる。通りの反対側は大きなバザールのようだ。人ごみとざわめきにつられて、中に入ってみた。民族衣装を想わせる小さな飾りのある服を吊るしている店や刺繍のある帽子の店。生活雑貨の店、食べ物屋が軒を連ねる。 さらに奥へと進ん... -
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅④:列車はいよいよ西域へ
上海を出て3日目の午後。写真は甘粛省武威-張掖の間。列車は、祁連山脈とゴビ砂漠に挟まれた細長い河西回廊を行く。長い客車を牽引するのは蒸気機関車。 夜には酒泉、嘉峪関、玉門と停車し、そこから先はいよいよ西域となる。 軟臥コンパートメントの内... -
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅③:中国、旅の不快指数強国
上海発烏魯木斉(ウルムチ)行 第52/53次特快 走行距離4079km 乗車時間3泊4日 この長距離列車に乗るその前にちょっと毒を吐いておく。 中国旅行って外国人旅行者には厳しいリアルな中国との対峙があり、それを乗り越えるための強さとしたたかさを持たな... -
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅②:上海の夜に揺れて
大阪を出て3日目の朝、船は上海の入り口付近を進んでいた。初めて見た中国の景色は、まだまだ社会主義強化キャンペーンまっ最中のようで、横書き縦書きのスローガンの赤い幕が、そこら中の建物にぶら下げてあった。 鑑真号は黄浦江を遡って行き、そろそろ... -
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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅① :鑑真号で上海へ
がんじんごう、漢字で書くと鑑真号。日本と中国を結ぶ国際航路の船名だ。 写真はその船首部分で、場所は大阪港国際フェリーターミナル。左から2人目が私、ほかの3人は大学のバイク仲間で、私を見送るために一緒に大阪までやってきた。 彼らは、今でも付...
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