右奥にある白い山はラカポシ7788m、左奥はディラン7257m。
夜遅く着いたため、フンザの景色は翌朝だった。絶景であった。


フンザには5泊した。とにかく居心地の良い村であった。
食傷気味だった中国の食べ物に比べ、カレーは新鮮な味覚で美味しく食べられた。またチャイのやさしい温かさにほっとできた。
すれ違う村人は穏やかで、「サラームアレイコム」と挨拶をすると「アレイコムサラーム」と返してくれる。
空気は爽やかで、景色は素晴らしい。
「桃源郷フンザ」と言われる。いつからだろう?多分旅行会社が言い出したのだと思う。
大袈裟な、と人はいうかもしれない。だけど中国を旅して来てフンザに入れば、ここは紛れもなく桃源郷だ。

さて、癒しのフンザをあとにし、パキスタンの旅は続く。ギルギット、ラワルピンディ、ペシャワールへと移動して行ったのだが、この頃から何故か写真を撮るのが少なくなってきた。
フィルムなんか簡単に買えるので、フィルムの節約ではない。日本を出て以来、毎日毎日非日常が上書きされて、変わった事や珍しさに鈍感になりそれを撮影しようとするのが億劫になっていったのだと思う。いやはやもったいないことだ。
世界一周の時は、最後まできちんと撮影を続けたい。
ペシャワールのホテルの屋上から西の方角を望めばアフガニスタンの山なみが見えるのだが、見えるのは山なみだけではなかった。
この宿に泊まっていた日本人旅行者から、面白いものが見えるぜと屋上に誘われた。
「あれだよ」指をさす向こうには、山に沿うように飛行機が飛んでいるのが小さく見える。「あの辺はアフガニスタンかな。あれはソ連機、フレアを出しながら飛んでるのが分かるか?」私はフレアを知らなかった。飛行機の後ろの方から火の玉がいくつも出てるだろ、フレアっていって、ミサイルを撹乱させるやつだよ。
その人はそういうのに詳しくて、面白かった。
「おっ、スクランブルだな。パキスタン空軍の戦闘機だよ」
当時ソ連はアフガニスタンと戦争をしていて、ムジャヒディンとの戦いに苦戦していた。
私は、後日ムジャヒディンのひとりと会話をすることになる。
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