今(2023年)試しにGoogleマップで、トルファンからカシュガルまでの経路を検索してみたら、所要時間14時間強で到着と出た。ありえん。
1986年当時バスでトルファンからカシュガルまで実際に必要だった時間は、半日+2泊3日であったので、相当便利になったのだろう。
何しろ今とは一番違う事は、昔は事前に詳しい情報を得ることが出来ない事であった。その場その場で解決しなければ、旅は前に進んでいかない。
この場合も、カシュガルまで行けることは分かっていたが、「どうやってどの位時間がかかって」行けるのかは、全く未知であった。
トルファンとカシュガルを結ぶ直行バスは無かった。大河沿という場所まで一旦行って、そこで乗り換えるというのだが、まあ接続が悪い。半日+というのはそういう意味だ。
カシュガル行きは翌早朝に出るので、この大河沿というしょぼい中継ポイントで1泊しなければならない。
しかも泊まるのはレンガ積みの粗末な建物で、ほぼ家畜小屋レベル。最悪な夜であった。
さあ本番はここから。1360km2泊3日の過酷なオンボロバスの旅が始まる。
10月15日早朝、月明かりの下でバスの溜まり場に人が集まり始める。大きな荷物はバスのルーフの荷物置き場に上げられる。外国人バックパッカーもいる。
初日は10時間走ってコルラ泊、2日目は12時間走ってアコス泊、3日目は13時間走ってカシュガル到着となった。
その過酷なバス移動について、当時のメモを参考にして書き起こしてみよう。
オアシスの街々をつなぐ天山南路をバスは走る。古来から変わらぬこの道は、右側には天山山脈、左側にはタクラマカン砂漠という雄大な地形で旅人を迎える。
古代シルクロードに思いを馳せて悠久の歴史を訪ねる感動のドライブ、そして文化の十字路カシュガルへ。
ツアー会社のパンフレット風にしてみたのだが↑
なんかその表現は違うんだよな。実際はこんなだぞ↓
「ガガガガー」バスのドライバーはアクセルを床まで踏み込むが、ディーゼルエンジンは唸るだけでバスはほとんど進んでいない。直ぐにドライバーはクラッチペダルを踏み込み、床から突き出した長いシフトレバーでギアを2速に入れる。ところがギアはなかなか噛み合わず、クラッチペダルを踏み直し同時にシフトレバーを行き来させて、なんとかギアを入れ直す。「ガガガガー」壊れそうに悲鳴を上げるエンジン音を無視し、次は3速に入れる。ようやくバスはスピードにのり始め、4速でなんとか巡行速度に移る。
ドライバー右後ろ下部にはエンジンがあり、騒音が鉄のフードを通して車内に響く。バスが走っている間、車内は永遠にうるさい。
天気が悪いと砂嵐が吹いて、窓から砂混じりの風が吹き込んできて不快だ。窓の精度が著しく低いため、何度閉めてもだんだんと開いてきてしまう。窓枠に詰め物をして対策をする。振動で詰め物が落ちてまた隙間ができる。こういうバスの窓との不毛な戦いが何時間も続く。
バスのシートは安っぽいビニールで、座面はクッション性が低く背もたれは直角。また道路の表面が荒れているので、常にガタンガタンと上下にはずみ、尻が痛い。ドライバーが大きな穴を避けるのに失敗すると、体がシートからさらに跳ね上がり苦痛。厳しい乗車姿勢の状態が何時間も何時間も続く。
車内では、じいさんがクセの強いローカル煙草を吸っていて臭い。煙を避けようと窓を開ければ砂混じりの風が吹き込み、どのみち不愉快だ。煙草を吸い終わると、「コカカカカー」と喉を鳴らし、タンを床に吐く。
おばさんが子供のオシッコをバスの床にさせていて、バスが加速したり減速したりすると、床のオシッコの筋が行ったり来たりする。
ひまわりの種の殻や、果物の皮、何かの食べかすも全部ポイ捨てなので、床を這うオシッコと混ざってしまい非常に見るに耐えない。
こうしたカオスが渾然一体となったまま、バスはひたすら走り続ける。私たちはこの過酷な移動時間が終わるまでただ耐える以外ないのであった。
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