1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅⑨:クンジェラブ峠を越える

中国・パキスタン国境クンジェラブ峠でランクル仲間と記念撮影をした。

この写真のとおり私たちは、前回の記事で書いた、行き止まりになった崖崩れの現場を越えて来た。

崖崩れの現場まで話しを巻き戻す…。

カシュガルに戻るというドライバーの言葉に踏ん切りのつかないまま、途方に暮れていると、誰かが指を指して声を上げた。

崖崩れの向こうから歩いて人がやってくる。特徴的な服を着たパキスタン人だ。中国人も岩をよけてこちらに近づいて来る。

どういう事なのだろう?何がおきているのだろう?

ドライバーは再び誰かと話しをしている。そして何かの結論が出たようで、私たちに説明を始めた。

要約するとこうだ。崖崩れの反対側には、パキスタン側から来た車がある。こちら側にはカシュガルに戻る車がある。乗客を交換して、車はそれぞれもと来た道を戻る、これでどうだ。

私たちは二つ返事でその提案にのった

ゴロゴロした岩の中を歩いていくと、10分くらいで反対側に出た。そこにはパキスタン側から来た青いランクル70がいた。

1時間以上ロスしたものの、再び私たちはパキスタンに向け、移動を再開した。

それにしても、ほぼ同じタイミングで両側にランクルがいたのは、僥倖以上と言える出来事であった。

遠く白い山は、ムスターグアタ標高7509m。あの山の裾をこの1本道は通り、
そこをすぎると、そろそろパミール高原が近づいて来る。

影の感じからだいぶ日が落ちてきているのがわかる。
山と茶色い平原だけのパミール高原を車は走る。

やがて夜となり、ヘッドライトの灯りを頼りに道を外さないように走るドライバーだったが、かなり疲れてきているのが見てとれる。ある時突然ドライバーは車を停め、今日はここで宿泊だとジェスチャーで私たちに言った。小さな建物があった。

翌朝ここがタシクルガンという集落だと知らされた。国境手前の中国最後のポイントだった。ここで私はこの旅での一番印象深かった出来事に遭遇した。

その時の様子は、記事「タシクルガンの少女」で。

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