1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅⑧:カシュガルから更にその先へ

大阪→上海の客船鑑真号の切符は、西新宿の秀インターナショナル(今のHIS)で手配したのだが、当時秀のオフィスの客用スペースの壁には、バックパッカー向けに各国の旅行情報が掲示されていたと思う。先人が残した数少ない貴重な体験の手書きの物もあったと記憶している。また、同人誌レベルの小冊子なんかもあった。

多分その中の何かに、「中国とパキスタンの国境は通れるようだ」的な記述を私は見たのだと思う。

1980年代前半にNHKで「シルクロード」の特集をやっていて、番組は欠かさず見ていたので興味の下地は十分にできていた。

そこにきて中国からパキスタンへと入るリアルなシルクロードの旅ができそうな予感。そして妄想は妄想を呼び、脳内は「シルクロード」の喜多郎のテーマ曲と石坂浩二の語り、さらに久保田早紀『異邦人』が、束になって行ってしまえとけしかける。

そんなこんなで上海から陸路で5400km、中国最深部カシュガルまでやって来た。

カシュガルには10泊した。前半は特に何もせず過ごし、後半はパキスタンへ行く手段の勉強。

フィルムで写真を撮っていた頃は、旅行先で自分が食べた物を写真に残す習慣が無かった。メモを頼りに新彊ウイグル自治区での食生活を振り返ってみると、シシカバブ、肉まん的なやつ、哈密ウリ、葡萄、干し葡萄、ザクロ、チョコレートなどなどを好んで食べていたようだ。

特に哈密ウリは格別で、上等な赤肉メロンのような味わいで、乾いた砂漠気候に痛んだ喉にしみこむ果実の潤い、自然の恵みであった。

カシュガル日曜バザール。観光客向けではない(そもそも中国人には遠方まで旅行に行く余裕や自由はなかったし、外国人もここまで来る人まだまだ少ない)、周辺地域から集まる地元民専用の市場で、食器類から家の建具、絨毯や衣服、荷車の車輪や生きた羊まで、人々が持ち寄り商う様々な物資であふれた賑やかな大バザールで、路地から路地へとさまよい歩くのも楽しかった。


カシュガルからパキスタンへと抜ける道は一本で、ルートはそれしか無い。どうやって行くのか、現地で出会う日本人や外国人旅行者、宿からの情報だけが頼りである。

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