11月13日、パキスタン航空国内線ペシャワール行きは天候不順でフライトはキャンセル。
11月14日、この日も飛行機は飛ばなかった。川原で牛の屠殺現場を目撃して気が滅入る。
翌日15日もペシャワール行きはキャンセルとなった。
当分チトラルから出られないのではないかという恐怖に、気持ちが侵食されていった。
天気の悪い毎日に突然きた体調不良、銃を持つ男たち、別に見たくもない家畜の屠殺。憂鬱な気分のまま悶々とする。
ネガティブな感情のスパイラルに陥っていた私は、復路の航空券を捨て、陸路でペシャワールまで戻ることにしてしまった。
チトラル・ペシャワール間には、途中ロワリ峠という厄介な難所がある。峠の標高は3100mくらいで、上の方はすでに雪が積もり車両は通行止めで、歩いて峠を越えなければならない。
麓の検問所で乗り合いのジープから下ろされ、歩いての山越えだ。
カラッシュ渓谷を訪ねた時の、ブンブレットからビリールの時の山越えに比べれば、普通の道だし楽勝だと軽く考えていたのだったが…。
体調不良でほとんど食事をしておらず、歩くエネルギーは無く、足が動かず先に進まない。当時の自分には慣れない雪道でもあった。反対側から峠を越え下ってくる人に、お前には無理だと言われる。
そのうち本当に動けなくなってしまった。
ダメだ、戻ろう。上から下りて来る男に50ルピーで私のザックを背負ってもらう。とても悔しく情けなかった。
麓のチャイハナで一晩泊めてもらう事にした。
この時ある男が声をかけてきた。自分はムジャヒディンでこれから戦いに行く。お前の靴はしっかりしていて、いい靴だから取り替えてくれと。当然私は断った。翌朝、私の靴は脱いだ時のままにあった。盗まれてはいなかった。
重い敗北感を背負い乗り合いで再びチトラルに戻った。
そしてまた牛の屠殺現場を見る。一人勝手にチトラルが嫌いになった。
11月17日、天候が回復しペシャワール便は飛んだ。ペシャワールに到着後、逃げるようにそのまま鉄道駅に行き、ラホール行きの夜行に乗った。
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