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1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅① :鑑真号で上海へ

がんじんごう、漢字で書くと鑑真号。日本と中国を結ぶ国際航路の船名だ。

写真はその船首部分で、場所は大阪港国際フェリーターミナル。左から2人目が私、ほかの3人は大学のバイク仲間で、私を見送るために一緒に大阪までやってきた。

彼らは、今でも付き合いのある大事な親友である。

過去の旅第2弾は、中国・パキスタン・インド・ネパールを4ヵ月かけて回った時のやや長期の旅の様子。書いたのは今年(令和5年)なので、例によって、だいぶ昔の出来事を写真やメモを頼りに書いていくため、雑だったり曖昧だったり粉飾したりすると思うが、そのあたりはご容赦いただきたい。

友達Tの運転するいすゞジェミニLS1800に乗り東京を出発、深夜の東名高速を走り翌朝大阪に着いた。


1986年9月30日、この日私は上海行きの客船鑑真号に乗り、海路で中国を目指す。そしてその出発を見送ろうと、友達3人も一緒に大阪まで来てくれたというわけだ。

「たぎる想いと感謝の気持ちを、固い握手と熱い抱擁に変え」なんて事はなく、軽く「じゃあな」と手を振ってザックを背負い手続きに消えて行くのであった。


「紙テープやろうぜ」と決めてあったので、そそくさとデッキに向かう。手すり越しに下をのぞくと岸壁にやつらがいた。ここは大事な場面だ。手前の海にポチャとか、もし失敗してみろ、この先ずっと言われるぞ。

私は、用意していた紙テープを彼らの所まで届くように、大きく遠くに投げた。周りの人もそれぞれに紙テープを投げている。おなじみの客船の出航シーンだった。

銅鑼が鳴り、船は少しずつ岸壁を離れて行く。色とりどりの紙テープは風に絡まり、ついには千切れ、船と陸とをつなぐものは無くなった。友達の姿が小さくなっていく。もう声も届かない。そして、いつしか見えなくなっていた。

私はセンチメンタルな気分になりたくて、しばらくデッキに立っていた。

「じゃあな」最後にもう一度陸に向かってつぶやいた。

爽やかな秋空の下、鑑真号は上海に向けさらにスピードを上げた。

こうして私の2回目の海外旅行が始まった。

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