大阪を出て3日目の朝、船は上海の入り口付近を進んでいた。初めて見た中国の景色は、まだまだ社会主義強化キャンペーンまっ最中のようで、横書き縦書きのスローガンの赤い幕が、そこら中の建物にぶら下げてあった。
鑑真号は黄浦江を遡って行き、そろそろ上海到着が近い。
多分中央奥にうっすらと見える三角の屋根が、和平飯店かと思う。左側奥は、今の東方明珠タワーが建つ辺りだろう。
着岸後、無愛想な制服係官が船に乗り込み、エントランスホールに広げた事務机で入国審査が始まる。パスポートにスタンプが押され、各自下船。中国入国となった。
外国人の個人旅行は今ほど歓迎されていなくて、1986年の中国を旅するには、とりあえず「地球の歩き方」にある情報を頼りにするのがまずはセオリーであり、上海に着いたら浦江(プージャン)飯店に行き、ドミトリーのベッドを確保せよと書いてあったはずだ。
不慣れな土地で旅の序盤でもあったので、アドバイスに素直に従い、顔見知りになった船の仲間と浦江飯店に向かった。
ベッドを予約したら次は両替、入国後は少し忙しい。
一昔前まで中国には、外貨兌換券(Foreign Exchange Certificate)というものがあって、外国人が円やドルを両替すると、この兌換券が渡された。
私たちはこれをFECとかワイフイと呼んでいた。
紙幣の裏には、「人民元と等価だよ」と英文で記されてはいるが、当時の闇両替での実勢レートは1.2~1.3倍で人民元に変える事が出来た。
バックパッカーの間では、○○省の○○市はレートが良かったとか、旅人から旅人へ口伝えで為替情報が流れていた。
左側、浦江飯店ドミトリー1泊14元。
右側、外国人と特権階級の人しか入れなかった友誼商店というデパートで買った爪切り。1.8元。
いずれも兌換券払い。1万円が239元だったので、1元約42円で計算すると、ドミトリー1泊588円、爪切りは75.6円。
ホテルにザックを下ろし、鑑真号で知り合った仲間と散歩に出かける。
トロリーバスの通過を待つ自転車のおじさんは人民服(中山装)を着ているが、大都会上海では、ファッションのトレンドは基本「人民服なんかダサくてもう卒業」が主流。
国営の上海市第一百貨店の昔と今。リフォームは上手くいったようで、なにより。でも私が行った時は相当ボロかったぞ、中も外も。
夜は夜で鑑真仲間と遊びに繰り出す。
上海雑技団を見に行く。ダフ屋から買ったチケットを持って、
シートに座る。本場の本物のパンダが頑張っていた。
「和平飯店のバー行こうよ。ジャズの生演奏だって」と誰かが言った。私ではない。どちらかと言うと、そういう場所には気後れするタイプだ。
ドレスコードなんて単語も知らず典型的なバックパッカーの身なりで、上海きっての有名高級クラシックホテルに飛び込んだ。ホールでは日本人以外の外国人もたくさんいて、生演奏のリズムで踊っていた。原色のスポットライトやディスコ調のミュージック。「こういうとこは場違いなんだよ」と、席でほおづえをつき独りウィスキーを舐める私に、ほら誘いがかかる。
人生初のディスコ体験だった。まぁ、悪くなかったかな。
翌日、翌々日と私たちは、それぞれの旅先に散っていく。語り尽くせぬ思いがあったのだろう。浦江ドミトリーの廊下で、若い旅人達は夜もふけるまで語り合っていた。
そんな、ただいっときの上海Bright Light Nightであった。
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