「夏色のナンシー」:あの問題について広く共有したい

『夏色のナンシー』1983年の早見優のヒット曲だ。ハワイ出身だという彼女が、ブラウン管(テレビはまだまだブラウン管の時代)の中で見せる肌は、いつも日に焼けた色で、他のアイドルとは少し違った印象で勝負していたようだ。

またこの曲のサビの前で歌う「if you love me」の if の i の発音が、イとエの中間でこれまた異国情緒のある雰囲気を出していて、これが if のホントの発音なのかと当時納得したものである。

この『夏色のナンシー』のヒットはよく覚えているのだけれど、他の曲はどんなのがあったか今ひとつ頭に浮かばない。聞けば分かるのならあるかもしれないが、特にファンでもなかったのでその程度の記憶しかない。早見優さん、ごめんなさい。

さて、書きたいのは早見優のシングル曲リリースの思い出ではない。「バイク界のナンシー」の話しだ。バイク乗りならもうこの時点で、なんだまたその話題かとウンザリするあれの事だ。

このナンシーネタは検索すれば山のように出てくる。しかしだ、敢えてこの与太話しを私も書く。ライダーにとってC級なこのゴミネタを、善意の第三者にも広く知ってもらうために書く

ナンシーというのは、ある特定の行動をする人を指す言葉で、言外に鬱陶しさも匂わせている秀逸なネーミングかと思う。この種の人達は、オートバイツーリングが一般的になってきた昭和40年代には既に出現していたとみられるが、そのネーミングがライダーに共有されるようになったのは、ネットの時代になってからだ。私もその1人。

その主な出現場所は、高速道路のサービスエリアや道の駅や観光地の駐車場で、出没エリアには北限も南限もない。パターンは一種類しかなくこんな感じだ

一休みでもするかとバイクを止めて、缶コーヒー片手に佇んでいる。すると観光バスが入って来る。バスのドアが開き人々がだらだらと降りてくる。その中にたいていいるのだ、ナンシーが。来るな来るなと念を送るものの、そんな時に限ってこっちにふらふらと歩いて来る。もうやめて!来ないで!

手を後ろに組んだその爺さんは、腰をかがめバイクをしばし無言で眺めると、最初に発した声でこう言うのだ。

このバイクはナンシーシーだ?」来たなナンシーめ。ここでうかつにも、「まあ1000ccっすけど」などと律儀におのれの愛車の排気量を答えてしまうと、気を良くしたナンシーは「ええっ!センシーシー?(1オクターブ上がった声でそう言うと)スピードは何キロでるのか?」と続けてくる。

ここでまたしても「200ちょいは出ますよ」なんて言ったら最後、万事休すだ。ナンシーはさらに会話を続行させ、聞いてもいないのに自分の事を語りだす。遠い夏の日に少しのあいだバイクに乗っていた頃の思い出なんかを。

こうなってしまうと愛車との大切な休憩は台無しとなり、おいしかった缶コーヒーも何だかもう飲みたくなくなってしまうのだ。

ナンシー達とさほど年齢の変わらない我々古株ライダーになると、白けた空気感と答えになってない答えで撃退する事もできるが、バイク経験が浅かったり気の弱いライダーであったなら、ナンシーとのコンタクトの際は、具体的な数字で答えてはダメだ。やつらのかっこうの餌食になってしまう。

バイクに乗らない方々も、「ナンシー」の意味と使い方、ライダーが被る災難について多少ご理解いただけたかと思う。

それにしても何故通りすがりの他人のバイクの排気量に興味があるのか?本当に困ったものである。

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