悲しきキャブレター

私の職場は、オートバイの走行機関を統括する非常に重要なポジションを担当している。我が部署無くしてオートバイは走らない。紹介しよう、燦然と輝く我ら、その名は「キャブレター」。オートバイの歴史と共に連綿と続く、誉れ高きエリート集団なのだ。

上にいるのが見た目は華やかだが、ただの貯蔵庫「ガソリンタンク」だ。彼らには特段の技術は必要ない。ただ地球の重力を利用し、ゴムのパイプを使いガソリンを私達に流し込むだけだ。

更に隣の部署の「エアクリーナーボックス」ときたら、仕事をしているのかさえ疑わしい。時々クビになって、気づいたら、取り外されて居なくなってる事もある。

私達は忙しい。送られてくるガソリンと空気を適切な濃度に混ぜてやり、通路の奥に続く肉体労働専門の「シリンダー」へと噴射してやるのだ。シリンダーの中では、私達が作った混合気を燃やそうと、今か今かと「ピストン」が天井を見上げ待機中である。

おっと、大事な事を忘れていた。私は「ヤマハSR」というオートバイの中で働いている。1978年から業務を開始しているので、その筋では最古参の部類だ。長くこの世界で生きているので、様々なものを見てきた。

画像引用元:ヤマハ


ライバル関係にあった「ホンダ」の同期に、鳴り物入りで登場した「CBX1000」がいた。なんとソイツは6個のシリンダーに6連装のキャブレターという超ハイスペックな布陣で降臨した。

私達は忙しい。「スロットルワイヤー」の求めに応じ、ガソリンを3本の通路を駆使し、空気の流れと連動させ、理想の空燃比になるよう一時も休まず調整し、ガソリンと空気の混合気として仕上げているのだ。

私達SRのキャブレターは、1つのシリンダーの面倒を見るだけなので、気心もしれているので仕事的にはやりやすい。ところが、CBX1000のキャブレターは横の繋がりも必要だ。ただでさえ忙しいキャブレター業務であるのに加え、6チームが同じ動きになるようシンクロしなければならない。かなりの激務に違いない。

画像引用元:ebay

尊敬に値するが、無理がたたったのか4年後には消えてしまった。

それでも暫くの間、ライバル含め、私達キャブレター業務に携わる者は、バブル崩壊も乗り越えこの世の春を謳歌していた。ところが20世紀の終わり頃、あれは1999年だった。「平成11年排気ガス規制」なるお達しが出された。組織は震撼した。

とある部署が手に入れた、「スズキGSX-R750」の内部資料を見せてもらった事がある。それには次のように書いてあった。

「コンピューター」という謎の概念を持つグループがエンジン班にやって来た。中を覗かれたくないのか、外側を黒で囲っていて気味が悪い。                                         我々キャブレターセクションとは少々仲の良くない「電装屋」が、度々コンピューターの連中から呼ばれているのを見かけるようになった。「燃料ポンプ」だとか「燃料噴射」などという何やら危険な話題を議論している様子だ。                                                   許せないのが、「季節や標高、気圧の変化にも一定の燃調を供給できていない部署がある」と吹聴している事だ。これは明らかに悪口と言って差し支えない、我々キャブレターへの。


画像引用元:スズキ

文はここで途切れていた。その後すぐ、GSX-R750からキャブレターの存在が消えた。24時間耐久レース優勝という輝かしい実績を引っさげ、1985年にデビューして以来ずっと油冷エンジンとその後の水冷エンジンを支えてきたというのに、なんと最後はあっけない。代わりに「フューエルインジェクション」という若くて新しい戦力がその場所に収まっていた。

何かとても恐ろしい物が、ひたひたと迫って来るのを感じた。国内の他組織も新しく世に出てくるものにキャブレターは搭載されなくなった。「バッテリーが停電してみろ、お前らじゃエンジンかけられないからな。」私達の強がりも、捨て台詞も時代の流れにはただ虚しいだけだった。

数年後「平成18年排気ガス規制」により最後の引導を渡された。私達キャブレターへの死刑宣告であった。大先輩の「スーパーカブ」も2007年についに陥落した。

翌年、私達SRキャブレターチームは集合するように呼ばれた。

言葉は短く冷たかった。


エピローグ

2010年にSRは、フューエルインジェクション搭載モデルが発売された。

2017年になると、「平成28年排出ガス規制」に対応できないと、一度は生産終了が発表されたものの、翌年適合モデルが発売された。

しかしながら「令和2年二輪車排出ガス規制」への適合困難との理由から、2021年ついにSRは完全に生産終了となった。

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