1987年香港・マカオの旅:ランウェイ13へ香港アプローチ

ご搭乗の皆様、当機は香港国際空港にむけ、徐々に高度を下げてまいります。

シートベルトはゆるみの無いようお締め下さい。

お使いになりましたシートのリクライニング、テーブルは元の位置にお戻し下さい。

ビジネスクラスのお客様は、ヘッドレスト、フットレストもお戻し下さい。

これより先、化粧室のご使用はお控え下さい。

なお到着地カイタック空港の天候は曇り、気温は摂氏24度と報告を受けております。

本日もアリタリア航空をご利用いただき、ありがとうございます。

乗務員一同またのご搭乗をお待ちしております。

飛行機は少しずつ高度を下げてゆき、雲の切れ間から香港の島々が見えてきた。

1度大きく旋回し、更に高度を下げ、ギアダウン(着陸装置を出す)。機は香港島の西側を迂回し水平飛行に入ると、東の九龍半島に突っ込む様に向かって行く。(なお、上のアイキャッチ画像は2023年のもの。)


(画像:wikipedia引用)

さあ、ここからが名物香港アプローチだ。

カイタック空港の滑走路13は周辺を小高い山に囲まれていて、飛行機は直線状に降下着陸することができない。滑走路直前での右急旋回が必要なのだ。

低い高度を維持しつつ、パイロットは誘導電波を発するマーカーに向け飛行機を進入させて行く。すでに九龍住宅街上空、マーカーのある丘を通過後、すぐにパイロットはマニュアル操縦に切り替え右旋回。右の翼を下に傾けながら、視線はその先に伸びる滑走路。右に傾いた機体を水平に戻し安定させ、次は地上のビルに設置された着陸進入灯に従い、目視で最終着陸態勢に入る。

その後タッチダウン。スポイラー全立てと逆噴射で急制動、すぐに滑走路を外れ誘導路に入る。

この一連の香港アプローチのため、カイタックはパイロットの技量が試される、着陸難度の高い空港とされていた。

(画像:wikipedia引用)

香港アプローチを機内から窓越しに見ると、建物スレスレを飛ぶ様に感じ、実際店の看板の字もしっかり読み取れる。「干してある洗濯物を引っ掛ける様な着陸」と形容されていた。

特に夜はとてもきれいで、何度かこの九龍の夜景を見る事ができたのはいい思い出である。

また誘導灯との誤認防止のため、「店などの広告ネオンの点滅禁止」も有名であった。


そんな香港名物も1998年を最後に見られなくなった。カイタック空港は廃止され新空港に移管された。

さて、1987年2月末から数日の日程で、大学のバイク仲間2人と香港・マカオに行った。

特に目的もなく、旅行と言えるほどでもなかった。ただ何となく行っただけ。

現在とはだいぶ違う香港島の高層ビル群と今も変わらないスターフェリー。
チムシャーツイの路地で晩ごはん。
火にかけた鍋、何を食べたっけ。
マカオ行き高速船、船尾には香港商船旗がなびく。
左は香港ドルの最小単位だった1セント紙幣。
裏は印刷されていなくて、おもちゃのお金のよう。
右はマカオパタカ。
マカオではベラビスタホテルに泊まった。
1999年にマカオが中国に返還された後、
ポルトガル領事館公邸になったという。
ベラビスタホテルのテラス席のレストランで食事。
バブル時代の若者たちは、気分的にも景気が良かった。
こうした素朴な風景はもう見られない。浅瀬は埋め立てられ、中国式の派手な建築物がいくつも建てられ、騒がしい街並みとなってしまった。

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