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1989年韓国の旅 後編:興味本位で参加した38度線ツアー、北朝鮮は確かに存在した

韓国映画の中では、私は『シュリ』が一番好きだ。何度見ても、エンディングの音楽が流れて来ると泣けてきてしまう。この映画以降、朝鮮半島の南北分断をアクション映画などにした作品が多く出てくるようになった。しかしそれらは2000年代に入ってからの事である。

上の写真は板門店の北朝鮮側の建物「板門閣(パンムンガク)」、映画のセットではない。1989年当時、いまだ金日成は存命で、ラングーン爆破事件1983年、大韓航空機爆破事件1987年など北朝鮮によるテロリズムが吹き荒れていた時代であった。そういう背景がある中ですら、DMZ 非武装地帯や北朝鮮が掘ったトンネルなどを巡る板門店ツアーは、日本人や他の外国人に人気の観光商品であった。もちろん韓国側の積極的な対外プロパガンダでもあろう。

ロッテホテルにあったツアーデスクで、このツアーに申し込み、指定の時間に集合しバスに乗り込む。バスの中ではあれこれ注意事項を説明され、緊張感が少しずつ高まっていく。それでも言ってみれば観光ツアーな訳で、こうして写真も撮れるので、平時であれば見学レベルでは問題はなさそうな雰囲気であった。

共同警備区域(Joint Security Area)内にある「帰らざる橋」。橋の中間から向こうは北朝鮮。
この当時は、周囲の植木がまだ育っていなくて、全容がはっきり見通せる。
ソウル東大門市場周辺の露天で売っていた北朝鮮の紙幣(1978年発行分)。


ソウル市内、通りの露店で買い食いをする女子学生。
『ランボー3怒りのアフガン』の韓国版ポスター。日本の方が公開は早く、1988年であった。また、実際ソ連のアフガン完全撤退は1989年2月なので、この映画とほぼ同時期であったのが興味深い。

韓国料理になくてはならない付け合わせのキムチであるが、ソウルの定食屋で中国産の輸入キムチを出すのが、2010年頃から一般的になってしまったという。

1990年代にかけて韓国によく旅行した私を含めた多くの日本人や、ましてや韓国人にしてみれば、まさか中国から輸入したキムチを食べる事になろうとは夢にも思いもしなかったはずだ。


ソウル駅から釜山に戻り、船で下関まで行き、帰国した。

冷やかしで入った釜山のフェリーターミナルのお土産屋さんで、女性スタッフが日本語や英語を駆使しまくって仕事をしていた様子に、友達Y氏はいたく感心し、今でもその話をすることがある。

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