チョンキンマンション、ただの古ぼけたビルではない。この中には安宿がいくつも入っていて、ホテル代の高い香港ではバックパッカーなど宿泊費を抑えたい旅行者にとっては、言ってみれば夢のお城である。
この少し怪しい感じの建物は、香港九龍側の繁華街チムシャーツイにあり、ビルに面したネイザンロードのガードレールの手すりには、いつもアフリカ人やインド、パキスタンの男達が腰掛けていて、お城どころかちょっとした巣窟の雰囲気だ。
また、安宿の他にインド料理屋なんかも入っているのだが、複雑なフロアレイアウトの為、食事に行くにもエレベーターを乗り換える必要があった。
泊まったのは、チョンキンマンションのゲストハウス。
まだインターネットは普及していないので、この手の安宿を日本から予約する事はできない。
とりあえず行ってみて、空きがあるか訪ねて回るという、昔の宿探しスタイルだ。
シングルルーム一泊299香港ドル。1996年の対円レートは、14円くらいなので約4200円程度。
さて、今回の旅は中国雲南省からラオスに入り、その後ベトナムを縦断する旅程だ。航空券は、香港IN ホーチミンOUTのオープンジョーで発券した。
1996年という年は、香港にとっては「あと1年」で中国に返還される年だ。呑気な外国人旅行者にとってみれば、「香港らしさ」はきっと無くなって、中国式のあれこれに蹂躙されていくんだろうなと要らぬ心配をしてしまう。
それはさておき、最初におことわりしておきたい事がある。画像の色についてだ。
この1996年の旅の様子を写した写真なのだが、全ての写真が黒い斑点状のものがついている。カビだ。まあ訳があって、当時ポジフィルムで撮るのがマイブームで、そのポジをデジタル化してメモリーにデータ保存したのだが、そもそもポジの保存状態が悪くカビだらけになってしまっていた。
気付いた時には手遅れで、そのままデジタルに変換する機器に通した。その作業がこれまた昔のことだったので、いろいろ残念な結果になってしまった。
で、上のお粥屋さんは朝ご飯。この後国境に向かい、羅湖ボーダーから中国に入る。
広州駅前の広場は、当時「盲流」と言われた地方からの出稼ぎ労働者「農民工」の群れによって、労働現場への一旦待機状態の人々で埋め尽くされていた。
広州には特に滞在する事もなく、この後すぐ寝台列車に乗り昆明へと向かい、10年ぶりの中国旅行が始まった。
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