1996年中国・ラオス・ベトナムの旅③:魔改造な寝台バスで、西双版納(シーサンパンナ)へと向かう

バスは昆明を14時に発車。景洪(ジンホン)までは700km以上ある。


バスは座席ではなく寝台式であった。寝台バスの情報は知らなかったので、少し驚いた。

車内は現物合わせで組んだ様ないかにも素人っぽい造りで、剛性が足りてない気がする。

いわゆる魔改造レベルなのだ。

それでもだ、思いついたアイデアをすぐに形にしてしまう中国には恐れ入る。日本だと「前例が無い」とボツにされるか、はたまた「書類の山と些細な手続き」に追われ形にならないまま消滅してしまう事だろう。


途中途中で休憩をはさみながらバスは走って行くのだが、とある休憩場所で私は世界で1番汚いトイレと遭遇した。

ちなみに画像は無いよ。あるわけ無かろう。

※ここから先、読むと後悔する可能性があります。汚い話しが苦手な方は、素早いスクロールで飛ばして下さい。食事中の方は、厳にご注意ください。

文字だけでも閲覧注意ですからね。なんなら記事から離脱して頂いてもいいですよ。

私はちゃんと言いましたからね!

ほんとにいいんですね?

仕方ないですね、では続きをどうぞ。

背の高い広葉樹林の山の中、連続するカーブの道をバスは進んで行く。

まれに人家を見かけるが、基本鬱蒼とした山の中だ。

何時間走ったのだろうか、バスは突然停車した。外をうかがうと粗末な造りの売店が見えた。どうやら休憩らしい。

運転手は扉を開けて、大きな声で何か言った。伸びをしながら乗客が降りていく。私も靴をひっかけ、あとに続いた。

ヒマそうな店先を一瞥するが、買うようなものは何もなさそうだ。

何人かが違う方に歩いて行く。その先には、竹を加工して組んだ囲いのようなのが見える。

どうやらトイレらしい。行ってみるか。

10メートルほど手前でニオイがしてきた。鼻がくすぐったいゾ。汲み取りのバキュームカーに似たニオイだ。

半分ほど距離を詰める。天井の無い、竹の囲いの入り口で、前を歩いていたおじさんが急に立ち止まり、戻って来て別の方向に早足で立ち去って行った。

臭気は更にきつくなり、鼻で息をするのは困難だ。やな予感はしてたんだ。

竹の囲いの入り口まで来てしまった。中の様子が見える。地べたに数カ所穴が空いている。「穴にしろ」という事か。

しかしだ、穴は黒く変色した人糞でほぼ埋まり、盛り上がってきていた。その周りを何十というハエが音をたて飛び回っている。たじろぐ。

穴の周囲にも、はみ出したクソやら拭いた紙が混ざり合って、壮絶な光景だ

息を止めてても、猛烈な臭いが袖で隠した隙間から鼻に入ってきて、嘔吐寸前だ。

目もチカチカする。

それでもこの状態のなか利用した人物がいたらしく、新し目のクソや、そのクソを踏んだ靴の跡さえある。

竹の囲いで仕切られたそこは、南国の日差しで増幅されさらに悪臭を発し、雨で流れ出る汚物にまみれ、日々不浄を溜め込んでいく異空間で、間違いなく世界最悪のトイレであった。ほんと、マジで凄かったんだから。『トイレット博士』なら、どんな風に描写しただろうか。

ハァ、近づかなければよかった。orz

きびすを返し、私も他の乗客たちにならい、路肩から谷に向け立ちションをした。

バスはさらに南へと走る。何もなかったように。


別の休憩ポイントでは、完全無欠のアル中おじさんに遭遇。

いろいろあった寝台バスの旅、翌日午前には終点の西双版納の州都景洪に着いた。

シーサンパンナ、正式にはシーサンパンナ泰族自治州。ミャンマーとラオスの国境に接し、人口の7割を泰族他少数民族で構成される地域で、景色も文化もほぼ東南アジア、そんな土地だ。

この日は景洪泊、翌日ガンランバ経由でモンラーへと向かう。

その先はラオスへと道は続いている。

ガンランバ(橄欖壩)という少し変わった名前の場所が、ジンホン(景洪)からそう遠くない所にあって、立ち寄りスポットになっている。
タイ族や他の少数民族が近隣の村々から小商いなどに集まって来る、そんな中国っぽくない場所だ。
束の間東南アジアっぽい雰囲気を楽しんだあと、次の街モンラーまでバスで移動する。

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