勤めていた職場にS氏という同僚がいた。仕事の合間のおしゃべりで、東京出身だというのが分かった。私もそうだし、北海道ではそれほど珍しくはない。
ところが驚いたことに通っていた東京での高校が同じで、しかも同学年でもあった。ここまでくると北海道ではかなりレアケースだ。さらにS氏の細君は埼玉県南部の県立W高校で、これは私が受験し落ちた高校であった。
色んな偶然があるものだ。
S氏はその後、世田谷にある(私の中ではセレブの子弟が多く行く事で有名な)成城大学に行ったそうだ。「セイジョウダイガク」もはや口にするだけで眩しい。カラフルに彩られた華やかなキャンパスライフを過ごしていたに違いあるまい。
私はS氏に懇願した。当時の成城ギャルの写真を見せて欲しいと。絶対ある筈なのに何を惜しんでいたのか、意味深に笑う横顔を残したまま、ついぞ見せてくれることはなかった。




ならばそのほんの一端でもいいからと、「江口寿史のイラスト」の様な女子⬆がそこら中で歩いていたであろうその学園生活の様子を教えて欲しいと食い下がった。しかし私がどんなに頼みこんでもS氏はひとり自分の胸に秘めたまま、やはり語ってくれることはなかった。orz
私も御茶ノ水のM大ではなく、池袋のR大や渋谷のA学にしていたら、芝生の上で女子たちと仲良くサンドイッチなんかをほおばっていたのだろうか。
そう言えばM大にいた頃、友だちと渋谷のA学院大学の学食に行ったことがある。学食というよりもカフェテリアでしたね。いるわけないのに川島なお美を遠目で探したりしてバカ丸出しだ。
閑話休題、前出の東京での高校が同じであったという話であるが、普通は通っていた高校の話題などで盛り上がらない。
ある時、辛い食べ物の話をしていた。
今では有名な「中本」という辛いラーメン屋が学校の近くにあって…。
ここから先お互いに繰り出される断片がどうも具体的だ。大抵の人が知らないはずの事を両者共に知っている。「中本」が昔、東上線上板橋駅から学校までの通学路の途中にあった事。学校が川越街道を渡ったその先にある事。竹刀を持った体育の教師が遅刻間近の生徒を自転車で追い立てる事。みるみるうちに、我々が同じ私立J高校の同級生であったという結論に達した。
当時高校生の私が所属していた体育会系のクラブ活動の仲間に、Sというちょっと金持ちのちょっと悪いやつがいた。そいつが「お前そろそろ『北極』食わないと男じゃねーぞ」と部活帰りで何人かと中本で『蒙古タンメン』をすすってると必ずオレに言う。
『北極』食えない=男ではない。という暴言は、多様性主義とコンプライアンスまみれの窮屈な今からすると、そういう主張をする者こそ非国民認定となるようだが、おおらかな昭和の青春時代は違っていたのだ。

Sのコトバに若い自尊心は刺激を受け、「お~し、そろそろ『北極』いくか!」となるのである。そりゃ、食ったさ。その後幾度となく。
高校を卒業し、大学に行ってからも時々「中本」には行っていた。しかしその後、私は海外にいる時間が多くなったり、北海道に引っ越すようになり「中本」は遠ざかって行った。
離れていても時々思い出す時があった。『蒙古タンメン定食』と頭で言うと自然に唾液が分泌されるのが分かる。完全に「パブロフの犬」状態で重症の部類だ。
いつしか「中本」は閉店したと風のうわさで聞いた。しかしその後何年かして再開したとも聞いた。それが今の「蒙古タンメン中本」である。
復活させたのは今の社長さんだ。熱い想いと並々ならぬ努力があったはずだ。
感謝したい。


東京に単身赴任していた時は、ヘビロテで「蒙古タンメン中本」に通った。
旅行で羽田を経由する時なんかは、時間を作って都内まで食べに行った。
私のザ・青春の味なのである。
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