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1996年中国・ラオス・ベトナム
1996年中国・ラオス・ベトナムの旅⑤:古都ルアンパバーンと首都ビエンチャンで垣間見た、あつい信仰心
けむった朝もやの中、遠くにかすんだ通りの角からオレンジ色の袈裟を纏った托鉢のお坊さんたちが、静かに静かに近づいてくる。 先頭は少年のお坊さんで、丸い入れ物を持っている。歩道には住民が供物を準備して待機している。 托鉢の列は全員で百人以上は... -
1996年中国・ラオス・ベトナム
1996年中国・ラオス・ベトナムの旅④:モーハン/ボーテン国境からラオス入国、古都ルアンパバーンへ
のどかなモンラーの町並み。 11月19日、ラオス国境への村モーハンへ小型バスで移動する。 中国雲南省最奥の村、モーハン。 中国側イミグレーション。 マイナー国境なので、出国スタンプの印字がやけにクリア。 ラオス側イミグレーションまでツクツク的なの... -
1996年中国・ラオス・ベトナム
1996年中国・ラオス・ベトナムの旅③:魔改造な寝台バスで、西双版納(シーサンパンナ)へと向かう
バスは昆明を14時に発車。景洪(ジンホン)までは700km以上ある。 バスは座席ではなく寝台式であった。寝台バスの情報は知らなかったので、少し驚いた。 車内は現物合わせで組んだ様ないかにも素人っぽい造りで、剛性が足りてない気がする。 いわゆる魔改... -
1996年中国・ラオス・ベトナム
1996年中国・ラオス・ベトナムの旅②:広州発昆明行き寝台列車で雲南へ
今(令和5年)から12、3年前中国に仕事で駐在していたのだが、その時社内の中国人と鉄道の話をすることがたまにあった。その頃既に中国は、高速鉄道界ではブイブイ言わせる存在になり始めていた。 一方、中国語で「緑皮車」という上の画像のような旧型客... -
1996年中国・ラオス・ベトナム
1996年中国・ラオス・ベトナムの旅①:薄れゆく「Hong Kong」を経由し、中国を(懲りずに)再訪する
チョンキンマンション、ただの古ぼけたビルではない。この中には安宿がいくつも入っていて、ホテル代の高い香港ではバックパッカーなど宿泊費を抑えたい旅行者にとっては、言ってみれば夢のお城である。 この少し怪しい感じの建物は、香港九龍側の繁華街チ... -
1996年中国・ラオス・ベトナム
1996年インドシナ半島で出会ったちょっと古いクルマたち
トヨタ・パブリカ いすゞ・ジェミニ 三菱・コルト シトロエン・トラクシオンアバン トラクシオンアバンの6気筒エンジン シトロエン・DS シトロエン・DS シトロエン・メアリ改 シトロエン・2CV プジョー・404 プジョー・304 ルノー・10 ルノー・4 ルノー... -
バイクの準備
大陸間の移動はバイクも空輸
ユーラシア大陸を横断しはるばるヨーロッパまで走ったら、次に向かうのは南米大陸である。今のところそういう計画である。 よく聞かれるのは、バイクを次の大陸に渡す方法についてだが、バイクも飛行機に載せて運ぶ。要は航空貨物だ。自力でやるのは難易度... -
旅の準備
いつでもどこでも、コーヒーセット持参でダバダ
一日の始まりはコーヒー。出勤の日も休みの日も、毎朝同じ時間にテレビを見ながら大きめのカップで1杯。30年以上変わらない習慣だ。午後適当な時間に飲むコーヒーも、気持ちを潤してくれて安らぐ。 キャンプツーリングに出かけ、朝方バーナーで沸かしたお... -
1989年韓国
1989年韓国の旅 後編:興味本位で参加した38度線ツアー、北朝鮮は確かに存在した
韓国映画の中では、私は『シュリ』が一番好きだ。何度見ても、エンディングの音楽が流れて来ると泣けてきてしまう。この映画以降、朝鮮半島の南北分断をアクション映画などにした作品が多く出てくるようになった。しかしそれらは2000年代に入ってからの事... -
1989年韓国
1989年韓国の旅 前編:東京から敢えて関釜フェリーで行ってみる
前年の年末年始に一度韓国に行っているので、今回で韓国旅行は2回目となる。 1989年の4月9日〜 4月16日、大学のクラスメートだった親友Y氏との短期旅行。 成田から空路ではつまらないという事で、下関から海路で韓国に行ってみることにした。 もちろんそ... -
1987年香港・マカオ
1987年香港・マカオの旅:ランウェイ13へ香港アプローチ
ご搭乗の皆様、当機は香港国際空港にむけ、徐々に高度を下げてまいります。 シートベルトはゆるみの無いようお締め下さい。 お使いになりましたシートのリクライニング、テーブルは元の位置にお戻し下さい。 ビジネスクラスのお客様は、ヘッドレスト、フッ... -
旅やバイクの話しあれこれ
タシクルガンの少女:最果ての外国語学習者
ある時出会った誰かの行動を見て気持ちが動かされ、その後の自分の人生で何かが少し変わった、などという事は誰にでも多少はあるはずだ。 これから書くのは、以前中国タシクルガンで出会った少女が私の語学の勉強に影響を与えた、おふざけ無しの真面目な話... -
バイクの準備
ホンダCD125T:TUTORO自動チェーンオイラーを導入し、2年経過
バイクのドライブチェーンのメンテナンスのはなし。 若い頃は今ひとつメンテナンスに関心がなく、ほとんど乗りっぱなしの状態。そして数年前まで20年以上筆者のバイクはBMWだったので、シャフトドライブ駆動の為チェーンは使われていない。おかげでこの年... -
1986年中国・パキスタン・インド・ネパール
1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅(完):インドからネパールへ、そして旅の終わり
カジュラホは寺院のエロレリーフで有名で、確かにこりゃエロ遺産だわと感心する。具体的にどんな感じか知りたい人は、検索してね。画像はたくさんネット上にあるよ。 ガンジス川 ダシャシュワメード・ガート バラナシから陸路ネパールを目指す。スノウリ国... -
1986年中国・パキスタン・インド・ネパール
1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅⑭:もはや致命的!観光意欲低下症にかかる
インドに入国してから更に写真を撮らなくなってしまい、また日記的なメモの字数も少ない。せっかくのインド旅なのに、出くわすアレコレなどを残した物がほとんど無い。 ニューデリーでは、パハールガンジ地区のハニーゲストハウスに泊まったと記録が残って... -
1986年中国・パキスタン・インド・ネパール
1986年中国・パキスタン・インド・ネパールの旅⑬:雪のロワリ峠で敗退
11月13日、パキスタン航空国内線ペシャワール行きは天候不順でフライトはキャンセル。 11月14日、この日も飛行機は飛ばなかった。川原で牛の屠殺現場を目撃して気が滅入る。 翌日15日もペシャワール行きはキャンセルとなった。 当分チトラルから出られない...